飯島桐箪笥製作所
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春日部桐箪笥の由来
飯島 勤
【其の壱】春日部桐箪笥の始まりから産地へ
春日部のことを語るにまず春日部の名称の由来って何なのだろうと思い調べてみました。すると由来は、川に地形「スカ」(川の湾曲部)や「カス」(水に浸す)、「カワベ」(川辺)などからおこったという説や、古代の御名代部「春日部」が設置されたことによるという説が有力です。また、浜川戸遺跡に居を構えていたという鎌倉から南北朝時代の武士の一族、春日部氏が由来であるとも考えられてきました。
 地名としての「春日部」が確認されるのは、現在のところ南北朝時代です。戦国時代から江戸時代にかけての古文書には「糟ヶ辺」「糟壁」といった記載がみられ、江戸時代の中ごろには、今日も残る「粕壁」へ転化していきました。
またちょうどこのころ粕壁の中である一つの産業が起ころうとしています。
 それが春日部の桐箪笥です。
 伝承によると江戸時代、日光東照宮の造営に際し(寛永年間一六二四から四十四)帰途についた工匠の一部が、当時桐が豊富にあり日光街道沿いで江戸からも遠くない春日部に住みつき 指物や小箱などを作り始めたのが起源であると言われています。
 しかしこの事を証明する資料は、今のところありません、【今後の大きな研究課題?】この時代から下る事、百年後に話はタイムスリップ致します。
 春日部桐箪笥の現存する資料の中で最古の物は今から二百三十年前の明和九年(一七七二年但し明和は九年十一月十五日まで)の裏書のある箪笥が、岩槻の中屋酒店に有ります。
 また安永六年(一七七七)に藤塚村、銚子口村の箱指屋十人ほどが冥加金を納めて営業許可を得ていたと記された資料(公用鑑上 農業に携わっていた者が、箱指屋をやるためのものでここでは、「農間箱指稼の者」と記載されています。)などから江戸の中ごろ(一七七〇年代)には、小規模ながら春日部近辺に産地が形成されていたと、考えられます。
 しかしながら、まだこの時代は、農業の片手間に行う農間箱指し等で専門の箱指屋は少なかったと思われます。春日部近辺の箪笥などの製造は農業の合間に行われていた事がわかる。この傾向はその後も受け継がれて行くのである。
 その後大消費地の江戸に近く古利根川、江戸川などの輸送の便に恵まれたことにより、天保年間(一八三〇年代)には桐箪笥、桐小箱の大きな江戸の地回り的な、産地を形成することに成る。
 このことは天保十三年(一八四二)に修理された市内小渕観音院の職人の神「聖徳太子堂」の修理寄付帳に記載されている奉納者二百三十余人中箪笥を製造したと思われる指物屋十二人、箱屋二十七人其のほか箪笥と係わりの有る職人たちが数多く記載されていたと言うことからも伺うことが出来ます。(余談になりますが、私の先祖はこの時代箱指屋で無く臼屋を営んでいました。)
 また、第参回国内博覧会へ出品した指物屋、下田長次郎氏の父は、天保五年(一八三四)に指物屋を開業しています。この時代春日部を中心に越谷、岩槻周辺まで産地は広がり桐箪笥製造が行われたのです。(天保の改革の影響もあると思います。)
 「木材ノ工芸的利用」明治十五年(一九一二)によれば、「粕壁方面ハ製作者各地ニ散在シ多クハ農閑ヲ利用シテ之カ製作ニ従フモノニシテ専業者ハ二、三割ニスギトイフ…」と記録されている。
 明治十年(一八七七)に東京市場への出荷が始まり、次第に大阪方面・九州博多・広島方面へと販路を拡大して行った。明治末期には二つ重ね式を改良して現在も使用されている「三つ重ね式箪笥」が考案された。大正十年に従来の箪笥を改良して、上野で開催された「平和博覧会」で最優秀賞を粕壁上町の厚見重次郎氏が受賞している。この時期は生産が飛躍的に増加した。生産額でみても分かるように明治四十四年(一九一一)が四十五万円、大正十年には約五百万円に増加している。また箪笥は、最終的な仕上げ加工をしないで生地のままで東京に出荷され、東京の問屋で仕上げ加工し百貨店に納入された。このため春日部の製品のほとんどが「東京箪笥」と呼ばれていたこれは問屋のしたたかな販売戦略だったのである。それゆえ東京の一般の人たちにはあまり春日部の箪笥の知名度はなかった。
 しかしこのころが春日部箪笥の絶頂期だったようである。当時の盛況振りを歌ったものに、「箪笥屋さんかい、神様かい、天皇陛下のおじい様かい」と言うものがあった。箪笥屋は少なくとも八十軒、四〇〇人の職人がいたといわれている。
 その後の昭和初期の不況期にも年生産額五百万円の水準は維持していたが伸び悩んでいた。
 昭和二年に組合を結成して品質向上を目指し厳しい検査を設けた。製品に松・竹・梅とし基準をみたした製品のみ出荷した。あまり検査が厳しいので検査制度に反対する者も多く、箪笥業界は二分された状態になった。昭和十二年には箪笥に物品税が掛けられ、戦時の経済統制下におかれ次第に衰退していった。
 戦後東京の復興とともに東京の業者は再開を目指し戦火に遭わなかった春日部に職場や職人を求めた、この様な事もあり東京より早く戦前の復興を遂げた。
しかし総じて、戦後も税金対策に悩まされ、倒産する企業や失業者もかなりの数にのぼり戦後の盛んな時期とは比べ様もなかった。
 生活様式の近代化、輸入材の使用などから洋家具工業へ転換した企業も少なくなかった。
 昭和三十年代には、春日部地域で一〇五工場、従業員は三五〇人下請けが一〇〇人で年間約一万六千棹、二億四千万円生産されていました。その後、生活様式の変化や後継者問題などで昭和五十四年四月一日現在、企業数二八従業員数一三七名と激減している。また昭和五十九年の生産額は十五億円と低迷している。
 現在に至っては、春日部周辺をあわせても企業数は二十ほどである。長引く不況と職人の高齢化、複雑な流通経路や高度な技術の習得が足かせとなり後継者もほとんどいない状態である。
 まさにひん死の状態と言うのでしょう。今後このままの状態で推移すると三十年後には伝統の技も歴史も消えてなくなるでしょう。
 
【其の弐】箪笥はいつ頃から出来たのか?
 西鶴と近松と言う江戸時代を代表する作家がお夏清十郎と言う同じ題材を買いている。この二作、箪笥の歴史からからみてもなかなか興味深い。
 これは実際に寛文元年(一六六一)に起こった事件をヒントにしたもので、播州姫路の米問屋但馬屋の娘お夏と手代の清十郎との悲恋物語です。重要なのは西鶴が長持ちを、近松は箪笥を使っていると言う事です。
 西鶴作は貞享三年(一六八六)に「好色五人女、巻一、姿姫路清十郎物語」として刊行されている。
 物語は恋仲になった清十郎とお夏が大阪へ駆け落ちしようとして飾磨津港から乗合船に乗り込み港を出たのですが、たまたま乗り合わせた客が忘れ物をして引き返すはめになり、そこに来ていた追ってたちに捕まり連れ戻されてしまい、清十郎は座敷牢に閉じこめられてしまった。ところが、この時、但馬屋の内蔵の金戸棚に入れてあった七百両が紛失するという事件が起こり、清十郎が駆け落ちの費用に盗んだとされ、清十郎は処刑されてしまうのである。そしてお夏は狂乱してしまう。これが四月一八日のことです。ところが、六月に入り蔵の虫干しをしていると見つかったのである。このことを西鶴は次のように書いている。
彼の七百両の金子、置所かわりて、
車長持より出けるとや
 後悔した但馬屋はこの金で清十郎の仏事供養をするという話です。
 これに対し、西鶴から約三五年後の宝永六年(一七〇九)に出された近松の「お夏清十郎五十年忌歌念仏」では、金の出所が箪笥に変わっている。話の筋も違い、清十郎の朋輩の勘十郎という悪玉の謀略でお夏との仲を裂かれ清十郎が家を、追われるのである。
この悲劇を次のように書いている。
半櫃箪笥出させぐわらりぐわらりと
打明けて。衣類引出取散らすは。
三途川の奪衣婆の呵責もかくやと
あはれなり。錠前を叩割り
提物差換取出せば。
包みの小判七拾両 是はさて。
 このように西鶴は車長持ちを使い、近松は箪笥を使っている。このことは歴史的に見てもあてはまる、まず西鶴の時代は長持ちが一般的な収納家具である是は、明暦の大火(一六五七)後の天和三年(一六八三)以後製作、使用が禁止されている。
それは、当然火災にあうと大事な物を持ち出す、しかも大勢の人々がいっせいに、そうなる交通渋滞になり被害が大きくなる。これに困り幕府はその後も重ねて禁止令を出した。(元禄十一年九月、宝永三年正月、正徳三年十二月)
 このことからも、ほとんどの庶民がもっぱら使用していたと考えられる。
 そのほかの西鶴の作品にも長持ちが多く出てくる。(天和、貞享、元禄頃にかけての作品一六八一から九十三年頃)しかし近松は箪笥と言っている作品の中にも随所に出ている鑓の権三重帷子(享保二年一七一七)博多少女朗波枕(享保三年一七一八)心中天の網島(享保五年一七二〇)では箪笥の形まで具体的に描写されている。
立って箪笥の小ひきだし、
あけて惜しげもなひ交ぜの
紐付き袋押し開き〜…(略)
大引出の錠あけて
箪笥をひらりと鳶八丈〜…(略)
 この事からも今の箪笥の原型となった引出の四・五杯付いた箪笥と言うことが伺える。
 しかし前項の半櫃箪笥なるものは、間口二尺七寸ぐらいで高さはせいぜい二尺ぐらいではなかろうか、引出も一つか二つで小形の長持ちを改良した物が半櫃なのである。
 これらのことを考えると一般的にだいたい、一七〇〇年代の初め頃から出始めて一七五〇年代にかけて普及していったと思われる。
参考文献
『春日部の文化』(春日部郷土資料館十五回特別展)
『春日部市史第五巻 民俗編』
『伝統的工芸品の申出書』(春日部桐箪笥工業協同組合)
『箪笥』(法政大学出版局・小泉和子著書)